『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本の感想・レビューをお伝えします。
障害者を扱う福祉関係の内容ではなく、身体論に関する本です。
目の見えない人=目の見える人に較べて欠けているものがある、とはならず、「見えない」からこそできることが多数紹介されていました。欠落ではなく「違う世界のものの見方」という差異として捉えられていました。「見えない」からこそできることに気づき、「見える」からこそできることを新たに発見し、その両方を体験することで一段上の視点を持つ人間になることができます。
KTK(高速大量回転)法の実践家デビっちんです。
「目の見えない」人の世界に興味がある人はもちろん、本を読むことが好きな人にもオススメの本です。「目の見えない」人が「情報」をどう「意味」に置き換えるかのプロセスで、 情報の組み立て方や説明の仕方を学ぶことで読解力が向上できるからです。
興味があれば、是非チェックしてみてください!
【目の見えない人は世界をどう見ているのか】ってこんな本です。
視覚を使わない体に変身して生きてみることをテーマに、身体論を考察しているのが本全体の概要です。
目の見える人が単純に目をつぶって視覚情報を遮断し、見えない世界のものの見方を考察するという欠落の考察ではなく、視覚そのものがない状態の人が世界をどう見ているかという次元の異なる内容を考察するものです。
本文中の例では、もともと4本脚がある椅子から1本脚をとった傾きがちな壊れた椅子ではなく、そもそも3本の脚で立っている椅子との違いを見ていきたいとの解説がありました。
本全体の流れに目を向けると、以下の5つの観点で目の見えない人の生活を考察していまして、
- 空間(見える人は二次元、見えない人は三次元)
- 感覚(読む手、眺める耳)
- 運動(見えない人の体の使い方)
- 言葉(他人の目で見る)
- ユーモア(生き抜くための武器)
その背景には「情報」と「意味」の対比が流れています。
「情報」という固定された事実も、目の見える人、目の見えない人、という受け手次第で様々な「意味」に置き換えられることが説明され、そのプロセスの考察が大変興味深いものでした。
つまり「意味」とは、「情報」が具体的な文脈に置かれたときに生まれるものなのです。受け手によって、どのような状況に置かれるかによって、情報は全く異なる意味を生み出します。
出典:『目の見えない人は世界をどう見ているのか』P.32~33 著:伊藤亜紗
中でも1.「空間」と4.「言葉」の章を読むだけでも、読書を楽しみとして感じている人は得るものが多いんじゃないかなーと^^空間の章では「情報」の組み合わせ方、「言葉」の章では説明の仕方について抽斗の数が増えるからです。
それでは全体の概要はこのくらいにして、いつものように本文中から気づきを得た3つの表現を紹介します。
【目の見えない人は世界をどう見ているのか】感銘を受けて行動や考えが変わった3つの表現
情報を手に入れられるかに必死でなくなる
「最初はとまどいがあったし、どうやったら情報を手に入れられるか、ということに必死でしたね。(……)そういった情報がなくてもいいやと思えるようになるには、ニ、三年かかりました。これくらいの情報量でも何でも過ごせるな、と。自分がたどり着ける限界の先にあるもの、意識の地平線より向こう側にあるものにはこだわる必要がない、と考えるようになりました。
・・・中略・・・
認識しないものは欲しがらない。だから最初の頃、携帯を持つまでは、心が安定していましたね。見えていた頃はテレビだの携帯だのにずっと頭の中に情報を流していたわけですが、それが途絶えたとき、情報に対する飢餓感もあったけど、落ち着いていました。」
出典:『目の見えない人は世界をどう見ているのか』P.56 著:伊藤亜紗
1.空間の章で出てきた表現です。
情報を取り込めばそれだけ知識が増え選択肢が広がる一方で、不必要な情報も一緒に取り込んでしまって心を乱されてしまいます。ここから「目が見える」という視覚機能は、その情報の取得量を加速させる装置だったのだなーと感じました。
この部分を読んで、情報を得られなかった、得るのが遅かったことで落胆するのが減りました。不要な情報を取り入れない分、今の脳には余裕があるぞ!と感じるようになったんですね。
また、情報がないからこそ、速く目的に到達できる場合もあります。
今後は情報を取り入れて安心する心の平穏と、不必要な情報を受け取らないことで安心する心の平穏のバランスを今後どう保っていけばいいかを考えていこうと思いました。結局は、人生の最終目標が何であるかに左右されるのだと思いますが。
あえて情報を遮断して、平穏な世界を実感してみましょう!
全体から部分につなげる一方で、部分を積重ねて全体を色づける
それまでの彼女の情報処理の仕方は、「部分の積重ねの結果、全体を獲得する」というものだった。ところが立体視ができるようになったことで、「まず全体を把握して、全体との関係で細部を検討する」という思考法ができるようになったのです。視覚の能力が思考法にも影響を与える、興味深い例です。
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』P.64 著:伊藤亜紗
こちらも 1.空間の章で出てきた表現です。
「部分の積重ねの結果、全体を獲得する」のは目が見えない人で、「まず全体を把握して、全体との関係で細部を検討する」のが目が見えるようになった人の思考という表現に驚かされました。
本を効率的に読む手法として、デビっちんは現在、KTK(高速大量回転)法という本の読み方を根幹にしています。その中では 全体をざっくりでも把握してから部分につなげる読み方が説かれていまして、こちらは目の見える人の読み方だとわかったからです。KTK法では「部分と全体の往復」の項目で解説されているところですが、人物に例えるとわかりやすいですね。
読書で、部分を積重ねて全体を把握するという読み方をしている人は、文字こそ視覚情報として捉えることができていても、その思考的には「目の見えない」世界の住人の読み方だったのかなーと。
これはどちらが良い、悪いというものではなく、両方の世界を知り往復して本を読むことで一段と面白い読書でできるという感じです。
KTK(高速大量回転)法の「部分と全体の往復」という概念を詳しく知りたい人は、こちらの本で是非チェックしてみてください!
どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)
常識と思っていた感覚器官を意識して別の器官として活用する
私たちはつい、ある器官に対して「この器官はこういう働きをするものだ」とイメージを固定しがちです。見るのは目、聞くのは耳、と決めつけて考えがち。でも進化というフェイズにおいては、私たちが予想もしなかったような働きが、ある器官から取り出されていきます。進化における動物の見た目の変形は、ある器官が私たちの固定されたイメージを裏切ってその底力を見せつけた、その結果に他なりません。つまり器官とは、そして器官の集まりである体とは、まだ見ぬさまざまな働きを秘めた多様で柔軟な可能性の塊なのです。
出典:『目の見えない人は世界をどう見ているのか』P.114~115 著:伊藤亜紗
2. 感覚の章に出てきた表現です。
目の見えない人というと点字やステッキなど触覚を活用して状況を把握している印象がありましたが、それだけではありませんでした。触覚や聴覚などの視覚以外の五感を活用して「見て」いたのです。この章では、耳で「見る」、目で「聞く」、鼻で「食べる」、口で「嗅ぐ」といった例が紹介されていました。
本来の器官とは異なる器官を意識して活用することで、感じる力がより高まり人生が豊かになるように感じました。積極的に活用してみようと思います。
異なる器官が役割を担うという意味では、過去に読んだこちらの本も同じですね。
腸は考える
今感じたことを別の器官でも感じてみよう!
おわりに
本書は目の見えない世界について考察することがテーマですが、視覚障害者だけでなく、今当たり前に生活している世界を新たに実感できる気づきを得られる内容だと感じました。自分とは異なる世界を覗き、その差異を面白く感じることで新たな発見をすることができると思います。
何かの事故や病気で、今失明してしまったしても、それなりに楽しく生きるられる気がします。(そうなりたくはないですが、、、)得られていた情報が手に入れられなくなってしまったと感じるのは最初の2、3年だけで、少ない情報でも生きていけること、少ない情報を楽しい方に意味づければいいことがわかったからです。
目だけでなく体の一部が欠損してしまっても、他の感覚期間を活用して楽しみを見いだせることも本書を読んで学べたことの1つです。
「見えない人の世界」を考え、体験し、今ある世界を感じ直してみましょう^^
今回の本は「目の見えない人」が中心の本でしたが、当たり前のように備えている「目」の質を上げるきっかの本を読んでみてはどうでしょうか?
それでは今回はこのへんで。
デビっちんでした♪